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「第190回原爆の語り部〜特別編 戦前戦時中の福屋や街の様子〜」





去年の夏の特別編の出演してくださった庭田 杏珠さんのご協力により

奥本博さんと緒方昭三さんをご紹介いただき

お二人が生活しておられた戦前の本通り、中島本町(現 平和公園)のお話や

今日までのヒロシマのことをカラー化した写真と共に聞かせていただけました


奥本博(おくもとひろし)さん(91)

播磨屋町(現 本通り13番10号)にご自宅があり

修道中3年の時、爆心地から4・1キロ離れた学徒動員先で被爆。

猛火に阻まれ、実家のある本通り周辺に近づくことができず、翌日

自宅前にたどり着き、「博 健在」と書いた紙を倒れていた電柱の上に置いた。

7人いた家族のうち原爆で両親を含む家族6人を失った

両親たちが残してくれた土地から絶対に離れまいと

一人残されても本通り商店街に住み続けようと店の再開に向け奔走した。


緒方昭三(おがたしょうぞう)さん(92)

1944年暮れまで、かつての繁華街であった

平和記念公園に位置していた旧中島本町にて

ご実家が化粧品店を営んでいた。

『AI とカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』にて

丸二屋商店の写真などを提供。父が福屋初代監査役


庭田 杏珠(にわた あんじゅ) さん

広島県生まれ。東京大学に在学し

「平和教育の教育空間」について実践と研究を進める。

2017 年、中島地区(現在の広島平和記念公園)に生家のあった濵井德三氏と出会い

「記憶の解凍」 の取り組みを開始。AI と人のコラボレーションに よる、

アートやテクノロジーを活かした戦争体験者の「想い・記憶」の継承に取り組む。


東京大学渡邉英徳教授 と共著で

『AI とカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』を出版。



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前回配信した

「第189回原爆の語り部〜被爆体験証言者の証言〜」特別編



もぜひともご覧ください


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