第196回原爆の語り部〜被爆体験証言者の証言〜
2022年1月6日(木) 19:00〜 BYouTube 生配信
2006年2月6日から毎月6日に
広島の繁華街のBAR CAMELで開催しております
新型肺炎コロナウイルスが流行しているため2020年3月6日の開催からBAR CAMELでの開催を休止し
BAR CAMELで皆さんとの再会を待ちながらYouTubeで証言を生配信しております.。
一人でも多くの方に視聴いただけましたら嬉しいです
質問などありましたらコメントよろしくお願いいたします
「原爆の語り部〜被爆体験証言者の証言〜」
梶矢 文昭(かじや・ふみあき)
昭和14年、広島市生まれ。
荒神町国民学校(現荒神町小、南区)小学1年生のときに
爆心地から1・8キロの同じ分散授業所での掃除中に2歳上の姉と被爆
建物の下敷きになり姉が亡くなり、梶屋さんは崩れた建物の下から何とか抜け出し、逃げて逃げて山にたどり着いた
姉は当時、現在の北広島町(広島県)の親戚の所に縁故疎開していましたが、
着替えなどを持って行った母に「連れて帰って。うちゃ死んでもええ、死んでもええからお母さんと一緒がええ」と訴えた
諭されて一旦は諦めた姉ですが、広島に帰る母が乗るバスを泣きながら追いかけてきた
その姿を見かねた母が「死ぬときゃ一緒に死のう」と、8月2日に広島市内に連れ戻っていたところに、原爆が落とされ
死んだ姉を思い母は晩年(94歳)まで涙を流した
昭和37年から広島市で小学校教諭や校長を務める。
平成11年3月に定年退職。
平成13年に「ヒロシマを語り継ぐ教師の会」を発足し、事務局長に就く。
逃げ回ることしかできなかった広島の街で、平和のために走りたい。と聖火ランナーを務めた
2013年1月6日以来 8年ぶりに語り部の会に登壇いただきます
心から感謝いたします
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